結城 七福神 巡り

平成29年1月3日

昨年、ふくろう寺に参拝に行ったことがきっかけで様々なイベントを調べている中で各地で七福神を祭る神社や寺があり

それぞれの歴史に興味を持ち,また、ダイエットも兼ねて今年は「ミートテック」から「ヒートテック」が似合うようなメンズジイジイ

を目標に早速、地元からスタートした。

私が住んでいる自宅のそばに数年前にようやくショッピングセンターが出来ました。

それまでは買い物も離れたスーパーに行かなければならず、大変でした。

唯一、私たちの地域に出来て良かった。利便性は高くなり、毎日買い物に出かける

のも面倒ではなくなりました。
すべてのものが都会的な雰囲気になったわけではなく、ちょっと歩けば田畑が多い

地域です。

写真ははくさいですがこの時期、霜にやられないようにひもで外側を縛り付けて

あります。1個1個大変な作業だと思います。

小山と結城を結ぶ旧結城街道です。

最初は金光寺 寿老人を祭る場所を目指します。

そうそう、今回より徒歩で歩く七福神は万歩計をつけています。

どれくらい歩くのか、計ってみたいと思います。

結城に唯一高い建造物。

結城では「おらが町のすかいつりー」と呼んでいるかはわかりません。

夜になると遠くから水戸線が「カタン、カタン」と聞こえる位で静かな街です。


結城城西病院です。

息子が子供の頃、ずいぶんお世話になりました。

あ、4年前、私以外の家内、娘、息子が〇ックのハンバーガーで

急性胃腸炎(ノロウイルス)になり一番重い家内が入院。

一緒に食べた娘も息子も同じ症状になる。私だけは食べてないので元気でした。

なおかつ家内は、数日後に院内感染でインフルにかかり、強制退院させられました。


病院ってどこでもそうなのかな?
小田林付近の踏切です。

水戸線は単線で4両編成の短い電車です。ローカル線の旅、味があります。

途中にあったお地蔵様。

え、ここか?。いやいや、スマホのナビはまだ先を示しています。

まずは今日の旅の無事も兼ねてお参りをしました。


着いたーと思ったら

おやー、門がしまっているぞ。

休みか?

横からも入れるようなので横の場所に回りまた。

脇に回ったら奥に人影が見えました。

金光寺 結城市小田林2045 小田林駅から徒歩で20分かな

金光寺(きんこうじ)は慶(けい)寿山(じゅざん)金光寺といい,真言宗(しんごんしゅう)豊山派(ぶざんは)の寺です。当寺の観世音(かんぜおん)菩薩(ぼさつ)は結城初代朝光公の守り本尊で,小田林聖観世音として現在地に建立されました。
山門の梁(はり)に結城家の財宝のありかが秘められているといわれる三首の和歌が刻まれています。
こうりように ふれてからまる うつ若葉 つゆのなごりは すえのよまでも
きの苧(カラムシ) かふゆうもんに さくはなも みどりをのこす 万代のたね
あやめさく 水にうつろう かきつばた いろはかわらね 花のかんばし
なんて内容が市の観光案内になったので引用させて頂きました。
当日はお寺の方が作業をされていただけで参拝者はおりませんでした。

人がいないと入っていいものか、悩みますね。

結城の七福神巡りはそれぞれスタンプみたいなものがあるのかなーって

思いましたが、周囲を見たのですが「ない」です。

かと言って御朱印が頂けるのは一部で大半は誰もいない神社・寺院です。

長女、長男が通った小学校です。

運動会や学芸会など思い出いっぱいです。

しかし、今思えば子供の成長は早いですね。

次の所に行く途中に今は廃墟となったスーパー跡があります。

以前はここも家から近く便利だったんですがね。

最後はトライアルが入ってました。
市杵島神社 弁財天 結城市結城483−1

児童公園の中にあり、社の前には池があり、橋を渡ってお参りをする。


周囲は住宅街の中にあるがここだけは池の水が流れる音で静寂の空間が

醸し出されているたたずまいでした。
この弁財天は市(いち)杵島(きしま)神社(じんじゃ)が無住なため,孝顕寺が保管する同社の福神です。市(いち)杵島(きしま)神社(じんじゃ)の祭神(さいじん)は,市(いち)杵島(きしま)姫(ひめの)命(みこと)で,弁天島に天正19年(1591)に創建されました。この女神は,福岡県の宗像(むなかた)神社(じんじゃ)の祭神の宗像三神の一柱です。この神が日本に仏教が伝えられたとき神と仏が調和すること(神仏(しんぶつ)習合(しゅうごう))で,弁財天にあてられました。
とこれも観光課より引用させて頂きました。
毘沙門堂 毘沙門天 結城市結城1632−2
下総州(しもうさしゅう)結城(ゆうき)絵図(えず)(享保19年=1735年)に多門寺(たもんじ)毘沙門堂(びしゃもんどう)とあります。いつの頃に創建されたのかは,史料がなくわかっていません。
  ここの福神は,毘沙門天で,財宝の神として信仰されています。鎧(よろい)兜(かぶと)(甲冑(かっちゅう))を身につけ,左の掌(てのひら)に宝塔をのせ,右手には三叉(みつまた)の矛(ほこ)を持ったインドの神で,ここの毘沙門天立像は市指定文化財です。

(引用です)
七福神の場所になっているのに特に案内板があったり旗があったりしない

ありのままの状態っていうのが結城市の演出なのか、むしろ手を入れていない感が

売りなのか。

ここまで私以外の参拝者はゼロ。
境内に隣接する隣は民家で写真には映らないように撮影をしましたが

ビンビールを入れる為のケースが2個おいてあり、歴史的な建造物の

隣には日常の社会生活が浸食している現実がある。

水子の地蔵さまは黒ずんでおり、煤汚れた感じ。誰か、掃除してあげて。

石碑と地蔵様の写真を撮るとエアコンの室外機が写り込み「なんだかなー」

って感じ。
恵比寿神社 恵比寿 結城市結城1174
恵比寿神社の創建は史料がなくてわかりませんが,宝暦6(1756)年11月に再建されていす。祭神は大国主(おおくにぬしの)命(みこと)の子である事代(ことしろ)主命(ぬしのみこと)です。もとは漁業に関する代表的な神として信仰されましたが,中世(鎌倉時代以降江戸時代以前)に七福神の一つになってからは,商家などにも信仰が広まり,商売繁盛の神,市場神となりました。その姿は風(かざ)折(おり)鳥(え)帽子(ぼし)(=上部を折ったもの)を着付け,鯛を左脇に抱え,右手で釣竿を持っています。
(これも市の観光課よりの引用です)
この社の右側には舞台のような場所があるのですが、祭りの跡のような

残骸が放置してあり、石碑の後ろには電池式のアンプが放置してある。

正月なんだから。気持ちを新たに参拝される方もあると思う。

でも現実は維持管理や予算など関わる方も高齢化となり色々厳しい問題を

感じてしまうのは私の考え過ぎでしょうか。


大輪寺 大黒天 結城市結城1139
大輪寺(だいりんじ)は如意山(にょいざん)観音院(かんのんいん)大輪寺(だいりんじ)といい,真言宗(しんごんしゅう)豊山派(ぶざんは)の寺院です。創建は安貞元年(1227)結城家初代朝光(ともみつ)公が,田河原の大輪坊の僧・元(げん)観(かん)を招いて現在地に坊舎を移建して大輪寺に改めたと伝えられています。
この寺院の福神は大黒天で,インドの神で飲食を司る台所の神とされていました。これが日本に伝来して,中世(ちゅうせい)以降音(いこうおん)が似ていることから大国主(おおくにぬし)命(のみこと)と混同され定着しました。そして,農村では田や畑の神,商家では商売繁盛の神として信仰されました。その姿は頭には頭巾(ずきん)をかぶり,左の肩に大きな袋を担い,右手に打出の小槌を持って,多くは米俵に乗っています。
  当寺院の大黒天は室町時代の作で,市の指定文化財で,左肩に大袋を背負い,右手に打出の小槌を持っており,水晶の玉眼を有する忿怒像(ふんどぞう)で,蓮華座(れんげざ)(蓮の葉を伏せた形の台座)の上に立っているのが特徴です。(引用内容)
入り口には仁王様がいる。

正しくは執金剛神(しゅうこんごうじん)と呼ばれる仏教の守護神 。

この門からは一切の魔物は入れないぞ。魔物を追い払う役割を持ち、右側のお方は那羅延金剛(ならえんこんごう)さま。この門をくぐろうとする人々を見つめて、信仰があるかないかを確かめたうえで通ることを許す神通力があるのか、大きな目でにらみを利かせています。と何かに書いてありました。
「あまりにもお怒りの表情ですが、切れてますか?」と聞いてみた。

・「いやいや、切れてないです。」

そう聞こえたような気がした。


ここは住職もいらっしゃるお寺でしたので、手入れの行き届いたきれいな境内

で歴史を感じさせる見どころがありました。
人手観音堂 布袋尊 結城市結城671−1
人手(ひとで)観音堂(かんのんどう)は人手山(ひとでさん)観音堂(かんのんどう)といい,大輪寺の境外(けいがい)仏堂で「御嶽(おんたけ)竹院(ちくいん)」とも言われました。創建は史料がなくわかりませんが,現在の結城東中学校の北東の愛宕神社付近にあったものを,享保6年(1721)に現在地に移したと云われています。
  布袋は中国唐(とう)時代末(?〜917年)に実在した禅僧布袋和尚を神としたものですが,なぜ七福神に数えられるようになったのかはわかりません。布(ぬの)袋の中に入れたものは財宝になったといわれ蓄財の神として信仰されたのでしょう。その姿は福徳円満な顔で,太鼓腹を露出して,大きな袋を担いでいます。
(これも引用させて頂いてます)

「兄さん」と声をかけそうになるくらい、太鼓腹が似てる。・・・ダイエット急務だ。

ミートテックの脱出が今年も目標。数年変わらないが・・・。
この境内には桜の木がたくさんあるので春はきれいでしょうね。

ぜひ、お花見の時期に写真をとりにこようと思いました。

なんとなく、心が落ち着いて吸い込まれてしまうような印象を持ちました。

これを描いた方が一筆ごとに強い念を入れて完成させたことを何より強く感じ

とれます。
昼も過ぎ、だいぶお腹が空いたので昼食をとることに。

人手観音堂に行く寸前で「金太郎ラーメン」の通りでしたので

「おやおや、いつものラーメン店を見つけてしまいました。食べない訳には

いきませんねー。」

結城市結城642 国道沿いです。

お薦めは辛いのが好きであれば「まさかりラーメン」をぜひ、食べてみてください。
このまさかりラーメンはたくさんの具が入り、スープは辛さの中に酸味がある。
これが癖になり、もう10年以上のまさかりファンです。このラーメンにはピーナッツ
がつきます。これで辛さを和らげることができます。昔はかなり強烈な辛さでしたが
だんだんマイルドな辛さに仕上がってますので一度お試しあれ。今回はまさかり
ラーメンにAセットをプラスしました。だから太るのですよ。
そうそう、以前は無料のキムチがあったのですが※今はなくなり残念です。
※1月21日土曜日、再度、金太郎ラーメンに行く機会があった。なんと無料キムチが
あるではないか。正月だけなかったのか?

いよいよ、最後のお寺です。時間は14時過ぎていて少し、風が吹いてきました。

でも歩ていると汗もかくので寒さは感じませんでした。七福神のご利益ですかね。

乗国寺 福禄寿 結城市結城3137
乗(じょう)国寺(こくじ)は見(けん)龍山(りゅうざん)覚(かく)心(しん)院乗(いんじょう)国寺(こくじ)といい,曹洞宗の寺院です。結城合戦当時(永享12〜嘉吉元年1440〜1441)福(ふく)厳寺(ごんじ)という寺が,常陸・下野・下総の三ツの国の国境の鬼怒川と田川にはさまれた所にありました。合戦後の宝徳元年(1449)結城家13代成(しげ)朝(とも)公が,松(しょう)庵宗(あんしゅう)榮(えい)禅師を招いて,結城家12代持(もち)朝(とも)公の菩提寺(ぼだいじ)として再建し,寺名を三国山(みくにざん)福厳寺としました。
 この寺院の福神は福禄寿で福と禄と長寿を授けるという中国の福神で,姿は長頭で経巻を結んだ杖を持ち,多くは鶴を従えています。(そんな内容が観光課に紹介を
されておりました)

入り口のデザインは竜宮城かと思うような?絵本なんかにはこのような作りの

印象があります。

最後の7か所目が無事に終わりました。結城家の菩提樹だけあって建物や境内の

雰囲気も非常に良く、心が洗われるようなお寺さんでした。
編集後記:

家を10時に出発して昼食をはさみ、15時に完了しましたがある問題があって

無駄に1時間歩いてしまいました。

それは結城市のホームページには人手観音堂の住所が結城市結城575と

あったのですが、実際にこの住所にはありません。


改めてスマホで調べたら全然違う場所にあることが分かりました。

この問題がなければ約3時間コースです。

ただ、事前に観光的な期待を持たず、あくまでも歴史的な建造物の散策。

いつの頃か、寺院や仏閣などきれいに整備されているのが当たり前に考える

ような意識になっていた。

改めてその現地地域のおかれている現実を受け止める心の度量が必要かと

反省しました。

子供の頃にテレビで政府広報で「暗いと不平を言うよりも進んで灯りをつけましょう」

突然、思い出しました。今はSNS時代、誰でも好き勝手に感想は言える。

でも重要な事はその事に対して無責任に言うだけでなく、自分はどう感じて

どうアクションを起こすのか。どれだけほざいても口だけでは犬の遠吠え。

自己満足以外に何もないことに気が付いていない。いつかはそれに気が付けば

いいのだが、私は今日、自分が住むこの場所で何ができるかの課題ができた。


そうそう、万歩計は最終8426歩でした。約7kmくらいの距離を歩いた。

寒くはなく晴天の中、初めての七福神めぐり、とても充実した1日でした。


そうそう、ここまでで足は棒のようになり、かかとに痛みが出てきていました。

ここから自宅まで戻るとナビで40分の距離。いやいや、もう無理。

そんな訳で家内に車で迎えにきてもらいました。これが今日一番の福でした。


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